メインメニューへ移動 メインメニューをスキップして本文へ移動 フッターへ移動します


ページの本文です。

更新日付:2024年9月19日 / ページ番号:C112139

緑区誕生20周年記念絵画「未来へ伝えたい緑区の風景」を展示しています!

このページを印刷する

緑区誕生20周年記念絵画「未来に伝えたい緑区の風景」

未来に伝えたい緑区の風景1
未来に伝えたい緑区の風景2
区制施行20周年を記念し、「未来へ伝えたい緑区の風景」をテーマに、絵画を作成しました。
この絵画には、緑区の豊かな自然環境や「見沼通船堀」に代表される地域の歴史的資源や将来像が描かれ、
緑区の魅力あふれる躍動的なものとなっています。
作画は、さいたま市在住の岡野 友敬氏です。緑区役所1階多目的室付近に展示しておりますので、ぜひご覧ください。

テーマ :「未来へ伝えたい緑区の風景」
作 画 :岡野 友敬(おかの ともたか) 氏
展示場所:緑区役所1階多目的室付近に展示

絵画に描かれている緑区の風景や見どころ

見沼通船堀 緑区で最も有名な史跡である見沼通船堀は、見沼を干拓した井澤弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが)が、享保16年(1731)に開削したもので、見沼代用水東縁及び西縁と芝川を結ぶ総延長約1,040mの閘門(こうもん)式運河です。閘門式運河とは、閘門(水門)によって、水位を調節し、船を行き来させるというものです。見沼代用水と芝川には、3mの水位差があったため、途中それぞれ2箇所の関を設け、水位を調整して船を通していました。通船堀の開通により、見沼新田で取れた米などの農産物が江戸に運ばれ、江戸からは肥料や荒物が水上交通によりもたらされました。昭和初期にはその役割を終えましたが、近世の土木技術、流通経済を考える上で貴重なものです。
(緑区お宝100選ガイドブックNo.42 )
井澤弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが) 井澤弥惣兵衛為永は、見沼新田開発、見沼代用水開削、見沼通船堀開削を行った徳川幕府の土木技術者です。和歌山県の生まれで、各地の新田開発や、河川改修を手掛けた人物です。関東に来たのは60歳の時。見沼関連の工事は、享保12年(1727)秋からとりかかり、享保16年(1731)に見沼水運を開始しました。閘門式運河の技術を持ってきたのも井澤弥惣兵衛為永です。見沼自然公園に銅像があります。
(緑区お宝100選ガイドブックNo.66 )
見沼田んぼ 徳川吉宗による幕府の財政改革(享保の改革)のため、土木技術家 井沢弥惣兵衛為永に、数多くあった池沼の新田開発が命じられました。 その一つとして、享保12年(1727年)に 八丁堤を切って見沼溜井が干拓され、見沼たんぼが生まれました。見沼たんぼが開かれてから、今日まで稲作が行われており、特に戦後は食糧増産を支える貴重な農業生産の場となりました。1950年代に入り、高度経済成長期をむかえると、東京都市圏の拡大に合わせて開発の圧力が高くなり、一部で住宅建設や学校・道路など公共施設への土地利用の転換が行われるようになりました。見沼たんぼは、人と自然の共生、都市と自然の共存という新たな段階の時代をむかえています。
(さいたま市 見沼田んぼのホームページから)
見沼の竜伝説 見沼には多くの民話や伝説がありますが、特に多いのは竜に関するもの。竜は本来水を司る神です。見沼は、縄文時代は奥東京湾の入り江であり、海水が引いた後は沼や湿地、江戸時代はため池、吉宗の時代は新田開発と水と関わってきました。農業が盛んになると天候への関心が高まり、水神である竜神への怖れや願いが高まり、伝説が生まれたのでしょう。見沼田んぼの入り口からほぼ真ん中までが緑区です。人を困らせる竜、人に助けを求める竜、人を助ける竜の伝説などたくさんあります。
(緑区お宝100選ガイドブック No.48)
見沼太鼓 見沼太鼓は、見沼通船堀を行き来する船頭たちが唄ったとされるのどかな舟歌を、楽しく優美な太鼓のリズムにして、見沼通船堀を後世に伝えようと、昭和45年(1970)に浦和見沼太鼓保存会の榎本克己が子どもたちのために捜索したものです。長年にわたり各種イベント等で披露され、勇壮で華やかな太鼓のリズムで華を添えています。
(緑区お宝100選ガイドブックNo.46 )
唱歌「案山子」 唱歌「案山子」は、宮本出身の作詞者である武笠三が、幼いころ育ち遊んだ三室の神社や黄色の稲穂が広がる見沼の風景をうたったといわれています。作詞者の武笠三は、東京帝国大学卒業後、東京や埼玉、そして鹿児島でも教鞭をとり、その後明治41年(1908) に文部省に呼ばれ、国定教科書の編さんや文部省唱歌の作詞に取り組みました。平成5年に見沼氷川公園に唱歌「案山子」発祥の記念碑が建てられました。
(緑区お宝100選ガイドブックNo.61 )
南部領辻の獅子舞

市の無形民俗文化財に指定されている獅子舞の一つで、南部領辻に伝わるものです。その起源は、平安時代後期、武将で笛の名手でもあった新羅三郎義光が、兄の八幡太郎義家を助けるため奥州に下向した際、軍兵の士気を鼓舞するために舞ったのが始まりといわれています。獅子舞の一行は、戈を持つ天狗(猿田彦)を先頭に、弓持ち、御幣(お守り)を持つ世話人と続き、花笠を付けた笛方の二人、簓(ささら)を受け持つ二人、その後ろに雄獅子である太夫(大獅子)、女獅子、中獅子の3頭の獅子の一団(計10人)で成り立っています。獅子舞は、竜が天を舞うように、また地を這うように、華麗で激しく勇壮にな舞いが行われることから、「竜頭の舞」とも呼ばれています。女獅子、中獅子、太夫の順に舞います。太夫が舞う「お神楽」は、無病息災、五穀豊穣を願い、神が宿ったかのように髪を振り、御幣を掲げて激しく舞い踊ります。現在は、5月と10月の15日に近い日曜日に、鷲神社に奉納します。

(緑区お宝100選ガイドブックNo.54 )
緑区の花(サクラ)、木(ハナミズキ)、鳥(シラサギ) 平成22年に、区民の皆さんからの投票をもとに、緑区のシンボルとして決定した「区の花」、「区の木」、「区の鳥」です。
これからの緑区 緑区の将来像「ホタル舞い(見沼田圃に代表される自然環境の豊かさ )風薫る(人々のさわやかさや躍動感)緑の街(緑の多いゆとりのある良好な住宅地・発達した街 )」をイメージし、現代の街並みや人物が描かれています。

詳しくは、「緑区お宝100選ガイドブック」に詳しくまとめられていますので、ぜひご覧ください。

絵画をイメージしたフォトスポットもお楽しみください!

緑区役所1階に、緑区誕生20周年記念絵画「未来へ伝えたい緑区の風景」を活用したフォトパネルを設置しております。
フォトパネル

作者

さいたま市在住の岡野 友敬(おかの ともたか)氏に作画いただきました。

作者様写真2
岡野 友敬 氏
昭和54年(1979) さいたま市大宮区(旧大宮市)で生まれ育つ。
平成12年(2000) 渡米し、サンタモニカカレッジ入学。美術専攻。
版画を中心に美術を学ぶ。
平成15年(2003) サンタモニカカレッジ卒業。
平成16年(2004) 渡欧。イタリア・ルッカにてアルバート・ビーチ氏に師事、エッチングを学ぶ。東武百貨店池袋店にて初個展(〜2018)。
平成24年(2012) アルピーノ銀花ギャラリーにて個展(隔年開催)
平成26年(2014) 銀座・北欧の匠にて個展(以後、毎年開催)。
平成27年(2015) 玉川高島屋にて初個展。
平成29年(2017) 大宮区役所新庁舎オープニング記念イベント
タイムカプセルデザイン
令和元年(2019) さいたま市立第二東中学校絆活動ポスターデザイン
令和4年(2022) 浦和中ロータリー主催浦和駅西口再開発仮囲いアート
令和5年(2023) 子どもの笑顔プロジェクト  アートディレクション
さいたま市 与野東青少年育成会  ポスターデザイン
埼玉県立北本高校  PTAロゴデザイン
さいたま市立芝川小学校  50周年記念事業  アートディレクション 
 

この記事についてのお問い合わせ

緑区役所/区民生活部/総務課 
電話番号:048-712-1123 ファックス:048-712-1270

お問い合わせフォーム