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更新日付:2025年5月14日 / ページ番号:C121163
令和7年3月8日から6月1日まで開催する、第36回企画展「地図で見るさいたまの近代」 の展示内容を紹介しています。その5はこちらです。
左の「大宮町新都市計画予定図 」は、大正13年(1924)、大宮町で計画していた耕地整理事業について、都市計画調査委員会から意見を聞くために大宮町役場が制作した地図です。縮尺は6千分の1です。地図のほかに委員からの意見書も添付されており、当時の計画内容や修正の過程がわかります。
「都市計画」は、都市の無秩序な拡大を防ぐために、開発に必要な手続きなどを定めるもので、大正8年(1919)に「都市計画法」が制定されていました。当初は大都市圏だけに適用されていましたが、次第に地方都市へも適用が広がりました。大宮町では、都市計画法の適用に先立って、大正12年(1923)から独自の都市計画を定め、耕地整理制度によって市街地の整備を進めました。
この地図は企画展デジタル展示で高解像度画像を見ることができます。
右の「大宮町全図 」(大正15年(1926)) は、当時の大宮町の地図に、耕地整理事業によって計画中の新しい道路と街区の形を示す線を重ねたものです。縮尺は3千分の1です。計画中の道路は、一部変更はありましたが、ほとんどは実際に建設され、現在の整った土地区画の元となりました。大宮町の耕地整理事業は昭和9年頃までに完了しましたが、これによって土地の区割りがどう変化したかがわかります。この間、昭和8年(1933)には大宮町も正式に都市計画法の適用を受けるようになりました。
企画展デジタル展示では、この地図の高解像度画像のほか、前後の時期の大宮町の地図も見ることができます。
市の西側を流れる荒川は、たびたび氾濫を起こし、周辺地域に大きな被害を与えてきました。江戸時代の治水技術では、氾濫を完全に防ぐことはできなかったため、下流の江戸に被害が及ぶ前に、上流にあたる今の埼玉県域で氾濫(はんらん)させるという方法がとられていました。明治時代に入り、土木技術が向上すると、こうした状況の解消が検討されるようになりました。馬宮村飯田新田(現西区飯田新田)出身の斎藤祐美(さいとうゆうび)は、故郷の洪水被害を防ごうと県議会議員となり、荒川での治水工事の推進に尽力しました。
こうして立てられた計画は、下流部では荒川放水路を新たに開削し、中流部のさいたま市域付近では川の直線化と築堤によって洪水を防ごうというものです。左の「荒川筋廃川並廃提図」(昭和初期)は、赤羽付近から指扇付近までの荒川中流部の改修工事に際して、付け替えが行われた川の流れや堤防を示した地図です。それまで蛇行していた荒川は直線状に改修され、両岸には堤防が整備されました。馬宮村では、それまで村の西端(現在のびん沼川)を流れていた荒川が、村の中央を広い幅で流れることになり、多くの住民が引っ越しました。川の流れと直角につくられた櫛の歯のような堤防は、洪水の際に流れの勢いを弱めるためのもので、「横堤」(おうてい)と呼ばれています。
このように川を高い堤防で囲むことによって、堤防で守られた土地(堤内地(ていないち))には洪水が及ばなくなりますが、川沿いの土地(堤外地(ていがいち))はそれまで以上に水位が高くなるため、渡し場など川沿いにあった集落は移転が必要になりました。工事は明治44年(1911)に着工し、下流部から進められました。荒川放水路は昭和5年(1930)に完成しましたが、上流部の工事は太平洋戦争の影響もあって遅れ、完成は昭和29年(1954)となりました。
大宮では、昭和20年(1945)4月13日夜から14日未明にかけて、米軍による焼夷弾を使用した空襲を受けました。被災したのは宮町、土手町付近で、そのうち宮町一丁目の一部は、昭和21年(1946)から、土地区画整理事業によって道路などの整備を行いました。これによって現在の大栄橋の建設用地が確保されたほか、中山道と川越新道(銀座通り)の間の道などがつくられました。右の地図はこの計画を表したもので、縮尺は600分の1です。
(右)「大宮復興土地区画整理組合確定図」(昭和20年代)
明治16年(1883)の日本鉄道線(現在の高崎線)と浦和駅の開業、明治18年(1885)の大宮駅及び日本鉄道縦貫線(現在の宇都宮線)の開業以来、大宮は鉄道網の要として発展してきました。鉄道の計画や工事にあたっても、数多くの地図が作られてきています。
東京と東北地方・新潟を結ぶ東北・上越新幹線は、昭和46年(1971)に工事が始まりました。東京-大宮間では、沿線の騒音や振動が問題視され工事が遅れましたが、大宮より北の区間では順次工事が進みました。左のパンフレット「東北新幹線」は、昭和55年(1980)ごろ国鉄(日本国有鉄道)が発行したもので、工事の進捗状況や計画路線図などが掲載されています。工事中の大宮駅の写真も紹介されています。
このあと、大宮-盛岡間と大宮-新潟間は昭和57年(1982)に開業しました。大宮-上野間は昭和60年(1985)に、併設された通勤新線(埼京線)とともに開業し、並行する京浜東北線や宇都宮線、高崎線の混雑緩和にもつながりました。また、大宮駅では、新幹線駅の建設と並行して西口駅前広場などの整備が行われ、街並みも大きく変化しています。
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