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更新日付:2024年6月14日 / ページ番号:C115006
鴻沼(こうぬま)の周辺(しゅうへん)は、昔から台風や洪水(こうずい)などの被害(ひがい)が多い地域(ちいき)で、米作りでも大打撃(だいだげき)をうけていました。
そこで地域の人びとが集まり、水害(すいがい)を防(ふせ)ぐために様々な努力(どりょく)をし、乗り越(こ)えてきました。
鴻沼資料館(こうぬましりょうかん)は、この地域の歴史(れきし)を次の世代へ伝(つた)えるために、地域の人びとから贈(おく)られた、農具や生活道具などを展示(てんじ)している資料館です。
平成(へいせい)4年(1992)5月1日に開館しました。
その後、一時的(いちじてき)にお休みしていましたが、さいたま市(当時の浦和市(うらわし))へ資料館全体が贈られ、平成7年(1995)7月1日から市の施設(しせつ)として、再(ふたた)び開館しました。
現在(げんざい)では「高沼(こうぬま)」と書かれているものが多いのですが、もともとは「鴻沼」と書きました。
「鴻沼」は、現在の中央区下落合(しもおちあい)から南区鹿手袋(しかてぶくろ)にかけてあった南北に細長い沼(ぬま)で、周辺の17の村の農業用の溜井(ためい)(水をためておく場所)として利用(りよう)されていました。
鴻沼と周辺の村々(開発される前)
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江戸時代(えどじだい)の中頃(なかごろ)に井沢弥惣兵衛(いざわやそべえ)が、沼の中央に排水路(はいすいろ)を通し、現在の大宮区北袋(きたぶくろ)の見沼代用水西縁(みぬまだいようすいにしべり)から水を引き入れました。この「高沼用水(こうぬまようすい)」は、今までの鴻沼の水に代わる用水として、近くの水田で利用されました。
鴻沼と周辺の村々(開発された後)
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この辺(あた)りは低湿地(ていしっち)だったため、台風などで洪水がおこり、たびたび被害を受けてきました。
そこで、昭和31年(1956)、この地域の人びとが集まって、鴻沼排水関係二ヶ土地改良区連合(こうぬまはいすいかんけいにかとちかいりょうくれんごう)を作り、排水路の改修(かいしゅう)や、下流部の田島地内に鴻沼排水機場(こうぬまはいすいきじょう)の設置(せっち)をして、水害を減らすために活動しました。
中央区本町東(ほんまちひがし)の長伝寺の欄間(らんま)の龍は、鴻沼の水を飲んで洪水を防いだという伝説が残(のこ)っています。
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