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更新日付:2024年7月10日 / ページ番号:C114490
(資料館の外観の写真)
鴻沼資料館(こうぬましりょうかん)は、平成7年に清算法人「鴻沼排水関係二ヶ土地改良区連合」から浦和市に寄贈された展示施設です。
鴻沼一帯は古くから低湿地であり、上流から流入する水や、台風などの出水等で、たびたび稲作に被害を受けてきました。
そんな中、昭和31年(1956)、近隣の人々が集まって「鴻沼排水関係二ヶ土地改良区連合」を結成し、排水路の改修や、下流部の田島地内に鴻沼排水機場の設置を行いました。
組合はこの地域の開発の歴史を後世に残すため、地域住民から寄贈された農具等の民俗資料の展示を中心として、この資料館を設置しました。
平成4年に組合は事業完遂により解散しましたが、資料館は「鴻沼排水関係二ヶ土地改良区連合」から浦和市に寄贈され、平成7年7月からは、浦和市立郷土博物館(現・さいたま市立浦和博物館)の分館として公開されてきました。
平成13年5月、さいたま市の誕生とともに、浦和くらしの博物館民家園の分館となり、平成23年4月からは、さいたま市立博物館の分館として現在に至っています。
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干拓前の鴻沼 | 干拓後の鴻沼 |
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現在では「高沼」と表記しているものが多いのですが、元々は「鴻沼」と書きました。
「鴻沼」は、江戸時代に現在の中央区から桜区にかけてあった南北に細長い沼で、沼の周辺17ヶ村の農業用の溜井として利用されていました。
その後、江戸時代中頃の享保年間に井沢弥惣兵衛為永によって、沼の中央部に排水路が開削され、同時に現在の大宮区北袋の見沼代用水西縁から引水し、今までの鴻沼の水に代わる用水として「鴻沼用水」という名称で、以降 270年にわたり近隣の水田を潤すことになりました。
この「鴻沼用水」はまさに、市内東部にある「見沼代用水」のミニチュア版とも言えます。
鴻沼用水は、下落合から鴻沼低地をはさんで東縁と西縁に分かれて南下する水路で、その水は周辺の水田に利用されました。
井澤弥惣兵衛為永が享保13年(1728)に利根川から引いた見沼代用水西縁から分水し、新都心駅南側の高台橋で中山道をくぐり、この地域に開発された新田と、下流部の新田を潤す重要な用水でした。
現在ではその役割を終えています。
※くわしくはこちら → さいたま市立博物館第35回企画展「鴻沼」展示web解説 その1
9時から12時
無料
〒338-0832 さいたま市桜区西堀4-1-4
電話番号 048-644-2322(さいたま市立博物館)
小中学生向けのクイズを出題します。
鴻沼資料館を見学して、クイズにチャレンジしてみよう!
教育委員会事務局/生涯学習部/博物館
電話番号:048-644-2322 ファックス:048-644-2313