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更新日付:2021年12月10日 / ページ番号:C040656
埼玉県指定史跡馬場小室山遺跡。埼玉県を代表する縄文時代の遺跡であるこの遺跡を御案内します。
馬場小室山遺跡は、さいたま市緑区大字三室、松木1丁目、馬場2丁目に所在します。JR武蔵野線東浦和駅の北北西およそ3キロメートルのところです。
遺跡の立地は大宮台地と呼ばれる台地(高台)上です。台地の北縁に広がる遺跡の眼下には、現在芝川の流れる見沼の低地から南に入り込む袋状の谷が迫っています。
以下で紹介するように、馬場小室山遺跡では縄文時代の早期から晩期まで、各時期にわたって生活が営まれましたが、 中でも後期と晩期には、窪地を中心とした範囲にきわめて密度の濃い遺跡が形成されました。この時期の関東地方では、「安行式(あんぎょうしき)」と呼ばれる土器を指標とする、特徴的な文化が形成されました。大宮台地は「安行式」の中心的な地域でした。馬場小室山遺跡は、「安行式」の文化圏の中にあり、そして「安行式」を代表する遺跡の一つです。
馬場小室山遺跡が遺跡として認識されたのは、昭和44(1969)年のことで、畑にたくさんの土器や石器が見られることが紹介されました。これをきっかけとして、同年に遺跡としての内容を確認するための発掘調査が行われました(第1次調査)。これ以後、おもに開発に先立つ事前調査として発掘調査が積み重ねられ、その結果、この遺跡は縄文時代早期にはじまり、縄文時代中期以降にこの地域の中心的な遺跡の一つとして発展したことが明らかとなりました。また、遺跡範囲内の西側には、直径約50mほどの円形の窪地とそれを断続的に取り巻く高まりがあることが明らかになりました。窪地の底と高まりの最高部との間には、およそ3mの高さの差があります。近年、縄文時代後期や晩期の集落跡では、窪地とそれを中心とした周囲の土手状の高まり(「環状盛土」)の存在が注目されていますが、本遺跡の窪地と高まりもその一例-保存状態のきわめて良好な-と考えられるようになりました。 なお、次の「特徴」に掲げた図で、想定される高まりの大まかな範囲を薄い緑色で示してあります。
☞馬場小室山遺跡 調査と保存のあゆみ(PDF形式:194KB)
豊かな内容をもつこの遺跡の中で、際だった特徴となるのは、窪地を中心とした顕著な高まりがあること、遺物を含む土層(遺物包含層)が累積していること、そこに形成された生活の痕跡(遺構)がおびただしく重なり合っていること、そして膨大かつ多様な遺物が出土することです。遺物は、生活・生業に関わる多種多様な土器類、石斧・石鏃・磨石・石皿の石器類のほか、信仰・祭祀に関連する土版・土偶、独鈷石・石棒・石剣、装身具の土製耳飾り、石製垂飾・勾玉などがあります。
特記されるのは第3次調査で出土した「土偶装飾土器」、第5次調査の第51号土壙(径約4.7m、深さ約2.6m)から出土した「人面画土器」で、他に例の少ない貴重な資料として全国的に注目されています。これら2点の土器は、埼玉県有形文化財(考古資料)に指定されています。なお、「人面画土器」は、平成21年に英国の大英博物館で開催された「THE POWER OF DOGUU」展でも展示され、海外にも紹介されました(さいたま市ゆかりの展示品としては、岩槻区の国指定史跡真福寺貝塚出土のミミズク土偶(国重要文化財)も展示されました)。
また、上記の第51号土壙からは、「人面画土器」の他に多量の土器や耳飾りなどが出土しており、その規模やおびただしい遺物出土量など、集落を構成する遺構としても特異なものといえます。その内の出土土器30点はさいたま市有形文化財(考古資料)に指定されています。
調査の進展と共に馬場小室山遺跡の開発が進みましたが、第32次発掘調査をきっかけとして、平成17年3月、遺跡範囲の西側の一画がさいたま市史跡に指定され、さらに平成27年3月、同範囲が埼玉県史跡に指定されました(市指定は解除)。史跡指定地は、上記の窪地の大部分とその北及び南側にみられる高まりを含み、さらに北側の低地へと落ち込む斜面も含んでいます。
史跡指定範囲には、本遺跡を特徴づける地形と集落構成が保存されていると考えられます。周辺における発掘調査結果からみても、ここには、多くの遺構や遺物が遺存していることが確実です。前記の第3次調査は、史跡指定以前に南側の高まり内で行われた調査ですが、この調査は、「土偶装飾土器」の出土に見られるように、窪地の周囲における遺跡のあり方を直接解き明かした成果といえます。また、昭和58年に埼玉県教育委員会と浦和市教育委員会が実施した確認調査では、指定地内の3か所を含む7か所で遺跡の状態が調査され、厚く形成された遺物包含層と濃密な遺構・遺物の所在が確認されています。
なお、史跡の現状は、雑木林となっています。暮らしの中で薪や肥料の供給源として活用されていた雑木林は、かつては随所にみられましたが、生活様式の変化や開発の進展によって、次第に姿を消しました。史跡の中の雑木林には、暮らしと共生した里山の景観が残されています。また、畑などとして開墾されずに、管理された雑木林として経過したことも、史跡の極めて良好な保存状態につながったと考えられます。
縄文時代後期・晩期における馬場小室山遺跡は、南関東の安行式を代表する、大規模で基準的な集落跡であり、縄文時代の生活文化や集落構造を解明する多くの貴重な資料を提供しています。本遺跡は、さいたま市・埼玉県のみならず全国的にも注目すべき重要な遺跡の一つであり、史跡指定地には、その核心部分がきわめて良好な状態で保存されているのです。
豊かな内容をもつ史跡馬場小室山遺跡。この貴重な史跡を後世に継承し、そしてその意義や価値を市民・県民の皆様に還元する必要があります。また、史跡の範囲は、雑木林となっていますが、これまで大規模な開墾が行われずに、生活に必要な薪や様々な資材を採取する「里山」として維持・管理されてきたことが、今日史跡が奇跡的ともいえるほどの良好な状態で保存されていることにつながったと考えられます。雑木林を適正に管理することは、史跡の保存環境の維持・保全と密接に関連しています。市街化が進む周辺環境の中で、史跡の植生には緑地としての役割も期待されるところです。
なお、史跡の保存状態はとても繊細です。現在の状態でたくさんの人が入り込むと、またたくまに良好な保存状態が損なわれてしまうことが確実です。史跡の状態を保全し確実に後世に引き継ぐと同時に、史跡の価値を現地で体感していただけるような保存と管理・活用のあり方を慎重に調査・検討する必要があります。
さいたま市教育委員会では、史跡の価値を損なうことなく、縄文時代のくらしにふれ学べる場、歴史と自然が交錯する中で憩える場となることを目標として、史跡馬場小室山遺跡の保存と活用に努めてまいります。
☞馬場小室山遺跡リーフレット(PDF形式:948KB)
☞馬場小室山 データバンク
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