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更新日付:2023年5月3日 / ページ番号:C095232
令和4年3月5日から5月8日まで開催した、第34回企画展「自然塗料「赤山渋」~かつての郷土特産物~」の展示解説を、3回に分けてご紹介します。
日本人にとって、柿は古くから親しまれ、なじみ深い果物です。
「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という俳句は、明治時代の俳人である正岡子規が詠んだ句ですが、秋晴れの青い空にオレンジ色の柿という色鮮やかな情景が目に浮かんできます。
そんな秋の風物詩である柿ですが、古くは縄文時代・弥生時代の遺跡から柿の種が出土しており、氷河期の終わり頃には中国から日本に渡来したと考えられます。
現在につながる柿は奈良時代に中国から入ってきた種と考えられており、栽培が奨励されたことから、北海道を除く日本列島のあちこちで見られるようになりました。
(現在では「柿並木」がある伊達町をはじめ、北海道でも一部地域で栽培されています)
カキは学名で「Diospyros kaki(ディオスピロス・カキ)」と言い、「Dios=神」「pyros=穀物」で「神のたべもの、カキ」という意味を持っています。
なぜ、原産国である中国の名称「シー」ではなく、和名である「カキ」が学名に使われたのでしょう。
それは日本から欧米諸国に伝わったからです。
江戸時代中期の寛政元年(1789)にはヨーロッパへ、そして明治3年(1870)にはアメリカへ。
そのため和名である「カキ」が学名に使われることになりました。
欧米諸国にも柿の木自体はあるのですが、日本で食べられているような種類の柿とは異なり、柔らかかったり、実が小さかったりします。
ですから比較的大きくて固い、日本の柿のことを話したい場合は、Japanese persimmon(ジャパニーズ・パーシモン)と言った方が伝わりやすいようです。
また余談ですが、英語では別名「kaki fruit」(カーキーフルートゥ)とも言いますし、ドイツ語やフランス語ではそのまま「kaki」(カーキー)と呼ばれています。
柿には甘柿と渋柿がありますが、元は渋柿しかありませんでした。
甘柿は渋柿が突然変異したものとされており、暖かい気候でないと甘くなりません。
柿の渋みのもとは水溶性の「カキタンニン」(ポリフェノールの一種)であり、これが口の中で溶けることで渋く感じます。
甘柿も未熟なときは渋みがありますが、収穫する秋の頃には、水溶性のカキタンニンが不溶性となり、口に入れても渋みを感じなくなります。
熟した柿の果肉にある黒い斑点は不溶性になったカキタンニンなのです。
渋柿もアルコールや炭酸ガスを使って処理をしたり、干し柿にしたりすると、カキタンニンが不溶性に変化して甘くなります。
柿渋は渋柿から作られ、古くから染料や塗料、漢方薬など様々な用途で使用されてきました。
柿渋がいつから国内で使われ始めたのかは定かではありませんが、平安時代の遺跡からは、漆器の下塗りや即身仏への塗布、下級武士が着ていた柿衣(かきそ)などが出土しています。
柿渋が文献上最初に現れるのは、平安時代末期の源平合戦を記録した『平家物語』や『源平盛衰記』であり、当時の武士の装飾品に用いられたことがわかります。
『平家物語』には「柿之衣(かきのころも)」という記述が出てきますが、これは柿渋で塗られた衣服のことを示しています。
『源平盛衰記』には「兵衛佐(ひょうえのすけ)、澁塗(しぶぬり)の立烏帽子(たちえぼし)に白直垂(しろひたたれ)著(ちゃく)して」という記述が出てきます。
平家物語(巻12) 国立国会図書館 デジタルコレクション |
源平盛衰記(巻39) 国立国会図書館 デジタルコレクション |
江戸時代には、生物学書であり農学書でもある『大和本草』、明(みん)の李時珍(りじちん)(1518年~1593年)の「本草綱目」に収められている動植鉱物に国産のものも加えて整理・編集した『重修本草綱目啓蒙(ちょうしゅうほんぞうこうもくけいもう)』、江戸時代の二大農書と呼ばれる『農業全書』や『広益国産考(こうえきこくさんこう)』、絵入りの百科事典である『倭漢三才図会(わかんさんさいずえ)』などに柿や柿渋の説明が出てきます。
江戸時代の生物学・農学の最高峰と言われた『大和本草』では、柿は解熱作用を持ち、便秘や下痢、喉のかれ、嘔吐に効くと紹介されています。
これらはカキタンニンに関係する効能かと思われますが、古くから薬としても用いられていたことがわかります。
『重修本草綱目啓蒙』では、柿渋は柿漆(かきうるし)・柿油(かきあぶら)・柿膠(かきにかわ)と呼ばれることもあったと書かれています。
これは柿渋が漆や油、膠と同じような性質や効能を示すためと言われています。
大和本草(巻10) 国立国会図書館 デジタルコレクション |
重修本草綱目啓蒙(巻35) 国立国会図書館 デジタルコレクション |
『農業全書』では、渋抜きをする手順が記されており、お湯に入れて一晩寝かせると渋が抜ける、とあります。
これは現代でも行われている「湯抜き法」という渋抜きの一種です。
『倭漢三才図会』では、渋柿1斗(約18L)に対し水2升5合(約4.5L)の割合で桶に入れて、しばらく置いた後に搾って柿渋を作ると書かれています。
(最初に搾った柿渋を一番渋と呼び、しばらく置いてからもう一度搾った柿渋を二番渋と呼びます)
農業全書(巻8) 国立国会図書館 デジタルコレクション |
倭漢三才図会(巻87) 国立国会図書館 デジタルコレクション |
『広益国産考』では、渋柿は丸く大きなもの(串柿)と、大きくて長いもの(西条柿)二種類を好んで植えるべきである。また丘陵では小さい渋柿を植えて渋(柿渋)をとると利益が得られると書かれています。
広益国産考(巻4) 国立国会図書館 デジタルコレクション |
どの文献でも柿が有用な作物であることが書かれており、商品作物の中でも特に奨励されていた作物のひとつであることがわかります。
次
その2 「3.柿渋をつくる」「4.柿渋をつかう」
その3 「5.「赤山渋」~かつての郷土特産物~」「6.赤山渋のそれから」
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