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更新日付:2024年8月6日 / ページ番号:C100199

さいたま市立博物館第47回特別展「さいたまの埴輪」展示資料紹介(4)

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第47回特別展「さいたまの埴輪」展示資料紹介

今回の特別展では、市内の古墳や古墳跡から発見された各種の埴輪や関連する資料を、約170点展示しました。このページでは、実際の展示構成に沿って、第4章の主な資料を紹介します。

第4章 埴輪を調べる

第4章では、埴輪研究の歴史や、市内での調査のはじまりなどについて紹介しました。

埴輪研究の歴史

上代衣服考 瓦偶人の紹介各地方の有力者を埋葬した古墳は、時代が下るとともに、誰が埋葬されていたのか忘れ去られていました。自然の浸食や農地の開墾などで墳丘を失ってしまうこともありましたが、それによって古墳の石室や副葬品、埴輪などが地中から現れ、そこがお墓だったことを人々が改めて認識する機会にもなりました。
こうした際に出土した副葬品や埴輪は、江戸時代には愛好家の収集や研究の対象にもなりました。特に人物埴輪は、「瓦偶人」とも呼ばれ、古代の人々の服装などを知る手がかりとして、多くの記録が残されています。
明治時代以降は、記録や分析に基づく近代的な調査や研究の手法が考古学にも取り入れられ、各地の古墳で埴輪の出土状況が正確に記録されるようになりました。それぞれの埴輪の形の研究とともに、古墳にどのようにどのように置かれていたのかについても詳細な調査や研究が進みました。人物埴輪や馬形埴輪が出土する古墳は関東地方に多く、調査の事例が増えるにつれて、地域ごとの差や時代ごとの変化も読み取れるようになってきています。

「瓦偶人ノ像」 

豊田長敦 著『上代衣服考 : 一名・神服考』,豊田長敦, 明治3 年(1870)
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/767903

さいたま市域での埴輪研究

さいたま市域では、旧大宮市の側ヶ谷戸付近(現大宮区三橋)で、埴輪の破片が地中から見つかることが戦前から知られていました。昭和23 年(1948)、稲荷塚古墳の隣接地に三橋中学校(現大宮国際中等教育学校敷地)が建設された際には、埴輪が多く出土し、現在も保存されています。また、岩槻区の浄安寺境内から昭和30 年代以前に出土した人物埴輪や、見沼区の東宮下付近で出土した線刻画付人物埴輪(市指定有形文化財)なども、耕作や造成の際に出土し、運よく保存された埴輪です。
また、氷川公園双輪場(現県営大宮公園陸上競技場兼双輪場)の建設(昭和14 年(1939)完成)のため、「天神山」を造成した際に、直刀や埴輪が出土したという記録が『大宮市史』に記されています。この埴輪は現存しておらず時期などは分かりませんが、見沼に面した場所にも古墳があったことを示す貴重な記録です。
安岡氏野帳(井刈古墳)埴輪や古墳の学術的な記録や調査は、市内では昭和30 年代後半からはじまりました。側ヶ谷戸古墳群の琵琶島古墳の西側にあった井刈古墳は、昭和37 年(1962)に、水田の造成によって周溝部分まで掘り下げられたために、周溝の断面や埴輪が露出し、記録が残されています。この際に出土した人物埴輪や馬形埴輪は保存され、現在でもその姿を見ることができます。
その後、土木工事を行う際の遺跡調査が制度化されると、地中に残されていた古墳の痕跡や埴輪が発掘調査によって記録、保存されるようになり、当時の古墳の姿が再び明らかになってきています。
 

野帳(井刈古墳埴輪出土状況の記録) 

昭和38 年(1963)1 月 安岡路洋氏(故人)

埴輪窯跡の研究

埼玉県の主な埴輪窯埴輪は、土器のように各地域で小規模に生産されたものと、大規模な専用の窯で大量生産されたものがあると考えられています。後者にあたる、大規模な埴輪生産窯の跡は、遺跡となって残り、地中から発見されることがあります。埼玉県内では、県西部から北部を中心に埴輪窯の跡が見つかっています。さいたま市域で出土した埴輪の一部も、これらの埴輪窯で作られたものと考えられています。
 

生出塚(おいねづか)埴輪窯(鴻巣市)

生出塚埴輪窯跡生出塚埴輪窯は、これまで発見されている中では東日本最大級の規模の埴輪生産地です。元荒川の西側に面した高台に位置しており、埴輪を焼いた地下式の登り窯や、埴輪を作った工房とみられる竪穴建物の跡、粘土を掘り出した採掘坑の跡などが発見されました。出土した埴輪や土器などから、5世紀末から6世紀末(西暦500~600年頃)の約100年間、埴輪の生産が行われていたと考えられています。
生出塚埴輪窯で作られた埴輪は、近隣の新屋敷古墳群(鴻巣市)、生出塚古墳群(鴻巣市)で使われたほか、生出塚埴輪窯から北へ約8kmの場所にある、埼玉古墳群の多くの古墳でも使われたことがわかっています。また、6世紀後半には、埴輪が運ばれる範囲がさらに広がり、荒川や元荒川沿い、東京湾沿岸の古墳にも、生出塚埴輪窯の埴輪が置かれていることがわかっています。市内で出土した埴輪のうちでは、大宮区の側ヶ谷戸第11号墳出土の埴輪(市指定有形文化財)、井刈古墳出土の埴輪、見沼区東宮下出土の人物埴輪(市指定有形文化財)、南区の白幡2号墳出土の埴輪は、鴻巣市の生出塚埴輪窯で作られたものであると考えられています。
現在は市街地となっており、出土した埴輪などは鴻巣市文化センター「クレアこうのす」に展示されています。
 

馬室(まむろ)埴輪窯(鴻巣市)

間室埴輪窯跡馬室埴輪窯は、生出塚埴輪窯から南に約3km離れた、西に荒川を望む台地の端に位置しています。最初の発掘調査は昭和7年(1932)に行われており、埴輪窯の様相
が初めて明らかにされた遺跡として学史にも名を残しています。
埴輪の生産は、生出塚埴輪窯よりやや早く始まっており、5世紀後半から6世紀末までの約130年間行われていたとみられています。窯の構造は、斜面を利用した半地下式の構造です。埴輪の形や作り方は生出塚埴輪窯のものと共通する点が多く、同一の工人集団が埴輪の制作にあたったと考えられています。作られた埴輪がどこの古墳に置かれたのかは、現在のところはっきりしていません。
窯跡の一部は県の史跡に指定されています。
 

桜山(さくらやま)埴輪窯(東松山市)

桜山埴輪窯跡桜山埴輪窯は、越辺(おっぺ)川とその支流の九十九(つくも)川に挟まれた、南比企丘陵の東端の南向きの斜面に位置しています。住宅地開発に伴い昭和55年(1980)に発掘調査が行われ、埴輪窯跡が17基発見されました。窯の形は、斜面を利用した半地下式の登り窯で、八つ手の葉のような平面形状をしています。また、窯跡より一段高い場所からは、埴輪の工房とみられる竪穴建物の跡も発見されています。
作られた埴輪は、越辺川の南側にある北峰古墳群(坂戸市)や、都幾川の北側にある附川古墳群(東松山市)の古墳に置かれたほか、埼玉古墳群の多くの古墳にも置かれたとみられています。
現在は市の史跡に指定されており、史跡公園として整備されています。
 

和名(わな)埴輪窯(吉見町)

和名埴輪窯跡和名埴輪窯は、荒川と市野川に挟まれた、吉見丘陵の南端の南向きの斜面に位置しています。これまでの発掘調査で5基の埴輪窯が発見されており、さらに未確認の窯があるとみられています。窯の形は、いずれも斜面を利用した半地下式です。
作られた埴輪は、吉見丘陵の久米田古墳群(吉見町)や、吉見丘陵の西方、市野川の対岸に位置する松山台地の岩鼻古墳群(東松山市)などの古墳に置かれたとみられています。
現在は、窯跡のうち1基が地中に保存されています。
 

姥ヶ沢(うばがさわ)埴輪窯(熊谷市)

姥ヶ沢埴輪窯跡 遠景姥ヶ沢埴輪窯は、荒川に面した江南台地の北側の斜面に位置しています。造成工事に伴って発掘調査が行われ、8基の窯跡が発見されました。また、姥ヶ沢埴輪窯跡から東に約1kmの場所には権現坂(ごんげんざか)埴輪窯があり、20基の窯跡が発見されています。窯の形は、斜面の下部につくられた地下式のものと、その上部の斜面中につくられた半地下式のものがあり、前者の方が古いものであることがわかっています。姥ヶ沢埴輪窯では、5世紀後半から埴輪の制作が行われており、鴻巣市の馬室埴輪窯とともに、県内の他の埴輪窯より早い時期から、馬形埴輪など大型の埴輪の生産が行われていたとみられています。作られた埴輪は、深谷市の千光寺3号墳など近隣の古墳のほか、埼玉古墳群や、さいたま市の本杢南古墳(本杢遺跡1号墳)、東京低地の戸田市南原第7号墳など、遠方へも運ばれていたと考えられています。また、姥ヶ沢埴輪窯の南東方約3.4kmの場所にある野原古墳で出土した、全国的に有名な「踊る埴輪」も、6世紀後半に姥ヶ沢埴輪窯で作られたと考えられています。
現在は造成工事によって窯跡は失われており、出土した埴輪などの一部は熊谷市の江南文化財センターで展示されています。
 

埴輪に親しむ

お土産用埴輪などの展示埴輪、特に人物埴輪や動物埴輪は、近代以降、そのユーモラスな造形から、その本来の用途から離れた場面でも親しまれてきました。「武人埴輪」(正式名称:「埴輪 挂甲の武人」:ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)で見る)など国宝となっている埴輪や、「踊る埴輪」(正式名称:「埴輪 踊る人々」:ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)で見る)など形に特徴がある埴輪は、埴輪の「定番」として、様々な場面で目にすることがあります。また、図案化、キャラクター化された埴輪は、学習教材から特撮映画まで、様々な商品やメディアにも登場しています。
こうした品物や物語などは、皆様もどこかで目にしたことがあるかと思いますし、あるいはご家庭のどこかにも、埴輪が隠れているのではないでしょうか。そうした埴輪を見つけたら、その埴輪がどこから来たものなのか、思いをはせてみるのも楽しいかと思います。

お土産用埴輪などの展示

参考文献

  • 大塚初重(1980)『埴輪』考古学ライブラリー37 ニューサイエンス社.

  • 高田大輔(2010)『東日本最大級の埴輪工房 生出塚埴輪窯』シリーズ「遺跡を学ぶ」073 新泉社.

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展示図録を販売しています

展示資料の写真や解説などを掲載した展示図録は、市立博物館で販売しています。

価格:600円
規格:A4版、カラー、48ページ

郵送でのやり取りで購入することもできます。詳しくはこちらのページをご覧ください。

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教育委員会事務局/生涯学習部/博物館 
電話番号:048-644-2322 ファックス:048-644-2313

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