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更新日付:2024年2月27日 / ページ番号:C077189
原資料 廓信寺所蔵(浦和区北浦和) 埼玉県指定有形文化財(彫刻)
レプリカ(複製)ですので、照明の下でじっくりとご覧いただけます。
江戸時代初期に浦和郷1万石の代官となった中村義照(吉繁)が旧主高力清長の追善のために創建した浄土宗の寺、廓信寺の本尊です。
中品中生の印を結んでいます。
平安時代後期に盛行した定朝様式の特色をよく伝える県内屈指のものといえます。
寺伝によれば、この像はもと大阪城の内仏で、落城後徳川氏のものとなり、それを中村吉照が拝領したものといわれています。
埼玉県指定有形文化財(彫刻)に指定されています。
原資料 医王寺所蔵(桜区西堀)
レプリカですので、照明の下でじっくりとご覧いただけます。
俗に「雹除けの大日如来」として知られています。
江戸時代に宝冠などが修理されていますが、全体に造られた時の姿をよく留めています。
大日如来にはこのような胎蔵界(禅定印を結ぶ)と金剛界(智拳印を結ぶ)の像がありますが、胎蔵界の像は、少ないです。
さいたま市指定有形文化財(彫刻) に指定されています。
この像は、とても入念に作られています。
精彩な表情や写実的な体格の表現、この像が座っている台座も細かく作られています。
元禄頃に活躍した宝山湛海の作風と似ています。
二童子像は、木造 制多迦童子像(もくぞう せいたかどうじぞう)と木造 矜羯羅童子像(もくぞう こんがらどうじぞう)で、不動明王像の脇侍です。
これらの像があった岸町不動尊は調神社の南、浦和区岸町3丁目にありました。
小堂で、昭和57年(1982)諸般の事情で取り壊され、仏像は当館に寄贈されました。
この堂は、明治4年(1871)に廃寺となった福寿寺(岸村でも中山道の西側にあった)という寺の仏像を移し、明治11年(1878)に建てられたもので、足立百不動尊の一つとして信仰を集めていました。
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