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更新日付:2024年2月21日 / ページ番号:C073609
清凉寺所蔵の融通念仏縁起絵巻の下巻の第9段「正嘉疫癘(しょうかえきれい)」 という段に、「与野郷(よのごう)」が出てきます。
正嘉年間(1257~1259)の頃、疫病が大流行した。
武蔵国与野郷の一人の名主が念仏を信仰し、家人にも念仏を勧め、その人の名字を番帳(融通念仏信者の名簿)に書いて道場に置いておいた。
その夜、夢で疫神が家に大勢押しかけたので、念仏に努めるために名字を書いた番帳を見せたところ、喜んだ様子で疫神は各人の名字の下に判を押した。
ただし、他所にいる娘の名字は書いていなかったので、念仏の仲間に入れたいと懇願したが、疫神はこれを許さなかった。
夢が覚め、番帳を見ると、夢のとおりに名字の下にいろはの字を書き損じたような判が押してあった。
番帳に名字が記載されていた家人には何の異状もなかったが、記載されていなかった娘は病死してしまった。
という内容が書かれています(融通念仏縁起絵巻の詳細は下のファイル「融通念仏縁起絵巻と与野」参照)。
この絵巻で注目されることが二点あります。
一つは「与野」という地名の初見であることです。
下の写真は第9段「正嘉疫癘」の詞書の写真です。
(詞書2行目に「武蔵国与野郷」と見えます)
もう一つはNHK大河ドラマ「麒麟がくる」でも話題になった、女性の立て膝坐りの様子が描かれていることです。
下の写真は第9段「正嘉疫癘」の絵の部分の写真です。
(ここに掲載している「融通念仏縁起絵巻」はいずれもレプリカです)
それでは「立て膝坐り」について見ていきます(女性の坐り方拡大は下のファイル「融通念仏縁起絵巻に見る女性の坐り方」参照)。
今の私たちは正座が正式な坐り方と捉えていますが、昔は必ずしもそうではなく、中世の絵巻などにはこの「立て膝」が非常に多く描かれています
(「春日権現験記」に見る立て膝の様子は下のファイル「春日権現験記に見る立て膝」参照)。
もちろん、正座している人も描かれてはいますが、「融通念仏縁起絵巻」では阿弥陀如来を前にした念仏の席でも立て膝が見られることからすれば、決して非常識な坐り方ではなかったようです。
この「融通念仏縁起絵巻」は、当時の坐り方のひとつを示しているものといえます。
与野郷土資料館では、この「融通念仏縁起絵巻」の「正嘉疫癘の段」を展示しています(レプリカ)。
(参考)矢田部英正『日本人の坐り方』(集英社、2011年)
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