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更新日付:2014年6月24日 / ページ番号:C002472
北沢楽天は、外国人向けの英字新聞社で西洋漫画の手法を学び、当時「ポンチ絵」・「おどけ絵」と呼ばれ、評価が低かった風刺画を、近代漫画として確立させました。楽天は、明治から昭和にわたり、日刊新聞『時事新報』や雑誌『東京パック』で、政治や社会の世相を巧みに捉えた風刺漫画や、ユーモラスなコマ漫画などを描きました。
年代 | 年齢 | 説明 |
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1876(明治9年) | 0歳 | 北沢保定の四男として誕生。本名は保次。北沢家は寿能城の家老職であり、中山道大宮宿紀州鷹場本陣の家柄。 |
1883(明治16年) | 7歳 | 東京神田錦華小学校に入学。 |
1890(明治23年) | 14歳 | 横須賀の井上春瑞に学ぶ。 翌年頃帰京し、画塾「大幸館」で洋画を学ぶ。 |
1895(明治28年) | 19歳 | 横浜のボックス・オブ・キュリオス社(横浜外人居留地の英字週刊誌)に入社。 オーストラリア出身の漫画家:F.A.ナンキベルから西洋漫画の描法を学ぶ。 |
1899(明治32年) | 23歳 | 福沢諭吉の主宰する「時事新報」に絵画部員として入社。 政治・社会風刺漫画を発表。 |
1902(明治35年) | 26歳 | 時事新報の日曜特集ページとして「時事漫画」を発表。 |
1903(明治36年) | 27歳 | この頃から「楽天」のペンネームを使うようになる。 |
1905(明治38年) | 29歳 | 鈴木いのと結婚。 日本初のカラー漫画雑誌「東京パック」を創刊。 |
1912(大正元年) | 36歳 | 「楽天パック」・「家庭パック」を創刊。 |
1921(大正10年) | 45歳 | 「時事漫画」が時事新報の日曜版付録として独立する。 |
1929(昭和4年) | 52歳 | 欧州世界漫遊旅行(パリに滞在し、欧州各国、エジプト等を漫遊)。 パリ サロンドートンヌに出品、入選。勲章を贈られる。 |
1930(昭和5年) | 54歳 | ロンドンにて絵画展開催。 アメリカ経由で帰国。 帰国後、楽天全集7巻を発行。 |
1932(昭和7年) | 56歳 | 時事新報社を退社。 |
1933(昭和8年) | 57歳 | 自宅アトリエを開放し「楽天漫画スタジオ」を開設。 |
1934(昭和9年) | 58歳 | 「三光漫画スタジオ」と改名し、後進に門戸を開く。 |
1942(昭和17年) | 66歳 | 日本漫画奉公会を結成。会長に就任。 |
1945(昭和20年) | 68歳 | 宮城県遠田郡田尻町に疎開。 |
1948(昭和23年) | 72歳 | 大宮市(現:さいたま市)盆栽町に楽天居を構え、日本画を描きながら余生を送る。 |
1955(昭和30年) | 79歳 | 脳いっ血のため急逝。 大宮市(現:さいたま市)名誉市民第1号に推挙される。 |
1959(昭和34年) | いの夫人が楽天の作品・遺品・楽天居を大宮市に寄付する。 | |
1966(昭和41年) | 漫画会館が開館。 |
スポーツ文化局/文化部/文化振興課/漫画会館
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