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私の母乳育児顛末記

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22年前、私が初めて出産した病院は、母乳育児を推進する病院でした。

分娩後すぐに赤ちゃんにお乳を含ませ、入院中は母子が同室で過ごすという方針で

思い通りの母乳育児をスタートできるはずだったのです。

ところが分娩直後に、子どもだけ別の病院に入院することになりました。

子どもと離れてしまっては直接授乳ができない、

「これでもう母乳育児はできないのだ」とがっかりする私に

助産師さんが「搾乳したら赤ちゃんに届けられるよ」と提案してくれました。

私にできることはこれだけ、これは何としても母乳を出さなければならないと

張り切ったのは言うまでもありません。

しかし、意気込みとは裏腹ににじむ程度にしか出ない母乳。

1日中搾乳しているので、気づくと両乳房には無数の指の跡。

赤い痣は次第に青黒くなり、薄くなって黄色くなります。

とうとう私の乳房は青と黄色の斑になりました。

想像していたのとは全く違った、母乳育児のスタートです。

10日ほどして子どもは退院し、その後は遅れを取り戻すかのように

母乳を飲ませることに執着しました。

良い乳を出すため、勉強した通りに

脂っこいものや甘いものを食べずに和食中心にし、

マッサージをし、何時に何分間授乳したかを記録。

どの乳管からも乳が出るように、ときには子どもを脇に抱えて授乳しました。

奇妙な姿を見た夫に「そんなにがんばらなくても…」と言われても

聞く耳を持ちません。

その頃私は、母乳を与えることを最優先し、喫茶店でも電車の中でも授乳しました。

周りの目などまったく気にしませんでした。

ところが生後7か月頃、遠方に住む友人の結婚式に招待され

早朝から夜遅くまで家を留守にすることになりました。

子どもを連れて行くことはできません。

久しぶりに冷凍母乳ストック作戦の開始です。

毎日せっせと搾乳し、着々と冷凍庫にたまっていく母乳を見てにんまり。

この満足感は、留守中の安心感にもつながりました。

夫に冷凍母乳の解凍の仕方・温め方などを念入りに伝え、産後初の遠出です。

途中、電話で子どもの様子を聞いたら「大丈夫、機嫌よく過ごしている」とのこと。

とはいえ、1日授乳をしなかったのは退院以来初めてです。

子どもがさぞかしおっぱいを恋しがっているかと思うと

一人の身軽さを楽しむ気にはなれません。

早く飲ませてあげたいと、パンパンにはった乳房を抱えて足早に帰宅しました。

ところが、子どもはすやすやと寝ていました。

傍らには哺乳瓶と粉ミルクのスティック。

そう、夫はミルクをあげていたのです。

な、なんてことを!

その時、何かが自分の中から抜けていきました。

私の思いとは関係なくミルクを飲んで機嫌よく寝ている子、

その姿を見て気が付きました。

パンパンにはっていたのは乳房だけでなく、私の気持ち。

母親なら子どもをちゃんと育てられて当たり前、と思われています。

だから誰もほめてもくれない。

でも「よくやっているね」という評価がほしくて母乳育児を頑張っていたのです。

この一件からのち、少しずつ子育てが楽になったような気がします。

たまにはミルクを作り、市販の離乳食をあげ、紙おむつも使い、夫の手を借りました。

大変だという気持ちも、人に話すようになりました。

無理をしなくても誰かや何かを頼れば良いし、

最善のことができないときは次善でも良い、

思い通りにできなくても子どもが元気なら良しとしよう。

育児には母親以外の目も必要でした。

でも、あのとき夫はどういう思いでミルクをあげたのだろう。

なんとなく聞けないまま20余年が過ぎました。

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