ブレない「プロ意識」で未来を創る
逆境を行動に変える。ブレない「プロ意識」で未来を創る
目まぐるしい日々。その先に見つけた自分の道
佐賀県で生まれ育ち、高校卒業後は地元の企業に就職しました。この頃は、家業をサポート・支援をしていたので、自分の人生をじっくり考える余裕はなく、目の前の仕事に毎日必死で取り組んでいました。22歳で上京し、就職もして、新しい生活は、周りのすべてが新鮮で、とても楽しかったものの、漠然とした不安も抱えていました。東京では周囲に大卒者が多い環境で、「自分は高卒だけど、このままで大丈夫かな…」という焦りのような感情が常にありました。
やがて今の主人と出会い、結婚、そして出産を経験しました。周りの同年代よりも割と早くライフイベントを経験し、子供が生まれてからは子育てに専念しましたが、次第に「何か手に職をつけたいな」と考えるようになりました。
そこで、「手を動かす細かい作業」が得意だったので、ネイルスクールに通うことにしました。実は、私の実家は佐賀県の有田焼に関わる家業で、幼い頃から細かい作業を見ていたので、これが緻密な作業や美術を好む「ものづくり」へのルーツになったのだと感じています。
ただ、通っていたネイルスクールでは、試験で一発合格ができなかったりと挫折感も味わい、何度も「もう、やめようかな」と考えることもありました。それでも、最後まで妥協はしない強い意志で、資格を取得し、まずはホームサロンというかたちをとり、自宅でママ友などを招き、ネイルの提供をはじめました。
子育ての壁。開業への決意とプロ意識
その後、さいたま市に引っ越しまして、当初はネイルサロンで就職を目指して活動しました。でも当時は、小さな子を子育て中ということで、なかなか職場との条件の合致が難しく、採用に至らず。
「それならもう自分でやるしかない!」と思い、この決断が、私のキャリアの大きな転機となりました。
ネイルサロン開業当初は、運営も施術もすべて一人で行う本当に大変な日々でした。下の子どもが幼稚園児でしたので、お客様の施術の合間に自宅に戻って様子を確認したり、時には子どもをバックヤードで静かに居させて運営をしたり。でも、この奮闘の甲斐があって、半年ほどで経営が軌道に乗りまして、すぐにスタッフを雇うことができました。当時も今も「やるしかない」という気持ちが、私をいつも突き動かしてくれます。
そんな私が仕事をする上で一番大切にしていることは、「健康」と「美容」の管理というプロ意識です。自分自身が充実していないと、最高のサービスは提供できません。特に、予約をいただき、お客様と向き合う仕事ですから、私自身が休んでしまうと、お客様との大切な約束を守れなくなってしまうので、徹底した管理を心掛けています。
仕事のやりがいや達成感を感じる瞬間は、たくさんのお客様に利用していただけているという結果、つまり売上が、何よりの喜びにつながっています。

教訓も力に。本質を磨き続けて目指すもの
経営も順調に事業を進めていたなかで、コロナ禍の3年ほどは、大きな試練でしたね。この時期、対面での施術への抵抗感に加え、医療の現場では、指先で測定する機器パルスオキシメーターが多用され、世間でネイル自体へ自粛の風潮が広まりました。お客様の考え方や行動変化もあり、経営してきた中では特に厳しかった時期だったと感じています。
またこの時期に、新しい事業や新規システムの導入をしましたが、メンテナンスや維持費に予期せぬ出費もありました。この経験から、目先の話に飛びつかず、本来の専門であるネイルに集中しておくべきだったなと、教訓を得ました。ただ、教訓も経験のひとつとして、ネイル事業の基盤を今後はより強固に、そして専門性を高めていくことに集中していこうと思います。
私の施術は、いわゆる時短で、スピーディに仕上げることを徹底しています。その速さにお客様から不安に思われることもあるほどですが、スピーディでありながら、完璧な仕上がりを提供するという、高いレベルでの両立が、自分の磨き上げた技術であり提供価値です。
プライベートでは、息子が私の背中を見て、美容の道へ進み、ネイリストの資格取得もしようとしています。そんな子どもたちの嬉しい成長を見守りながら、家族と充実した日々を送っています。
さいたま市で暮らし始めて12年。今後も、さいたま市内でさらなるネイル事業の拡大も視野に入れながら、力強く歩んでいこうと思います。
これから選択や就職を控えた方へのメッセージ
理想や考えることも重要ですが、自分自身が「やりたいこと」を軸に、まずはスタートをしないと何も起こらない、起こせないと思います。考えて悩むのは、行動の後からでも十分間に合うので、まずは行動を起こしてみることが一番いいのではないかと思います。

