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更新日付:2026年3月31日 / ページ番号:C126673

第49回特別展「真福寺貝塚-国指定史跡50年-」 展示Web解説 その2

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第49回特別展「真福寺貝塚-国指定史跡50年-」 展示Web解説 その2

令和7年10月11日から11月24日まで開催していた、第49回特別展「真福寺貝塚-国指定史跡50年-」の展示を紹介します。

第1章 これまでの出土資料~近年の遺物を中心に~

これまでの出土資料-貝・骨-

真福寺貝塚には、縄文時代に暮らしていた人々が捨てた貝殻などが厚く堆積した「貝層」が遺されています。貝層を調べると、色々な種類の貝殻のほか、土器の破片、動物や魚の骨などが見つかります。当時の環境はどのようなものだったのでしょうか。

真福寺貝塚では平成14 年(2002)に谷部のボーリング調査が行われ、珪藻(けいそう)分析の結果、集落が営まれるよりも前から真福寺貝塚周辺は淡水の環境であったことが指摘されています。淡水の環境だったとするならば、集落の貝塚から出土する貝も淡水に生息する貝類の出土が多いのではないかと考えることができます。しかし、発掘調査により出土した貝の種類を分類したところ、結果は表1のように、主体となったのは汽水産のヤマトシジミでした。

表1 真福寺貝塚出土の貝(◎は非常に多い、〇は多い)
淡水 オオタニシ・イシガイ・カワニナ
汽水 ◎ヤマトシジミ
鹹水
(砂泥質)
〇マガキ・ハイガイ・オキシジミ・オオノガイ
アカニシ・アラムシロ・フトヘナタリ
鹹水
(砂質)
〇ハマグリ・シオフキ・カガミガイ・サルボウ・オキアサリ
イボキサゴ・ツメタガイ
ベンケイガイ・ヤカドツノガイ・イモガイ
鹹水
(岩礁)
アワビ・オオツタノハ・イタボガキ
オオタニシとイシガイ ヤマトシジミ ハイガイ
オオタニシ(左)・イシガイ(右) ヤマトシジミ ハイガイ
オキシジミ マガキ シオフキ
オキシジミ マガキ シオフキ

したがって、真福寺貝塚では近場で採集可能な淡水に生息する貝よりも、より遠方で採れる汽水や鹹水(海水)に生息する貝を好んでいたことになります。なお、表1の下の2 列に掲げた貝(太字)は貝輪や垂飾品などの目的で利用された貝です。

また、貝塚から見つかった魚の骨の種類を分類したところ、結果は表2のようになりました。貝と同じように幅広い水域に生息する魚を利用していたことが分かります。どうやって入手したのかは不明ですが、クジラやアオウミガメも確認されていて、多様な水産資源を利用していたことが分かります。

表2 真福寺貝塚出土の魚類
魚類(淡水) コイ科・フナ・ウナギ
魚類(汽水~内湾) クロダイ・ボラ・スズキ
魚類(鹹水) マダイ・トビエイ
海棲哺乳類など クジラ・アオウミガメ
エラ骨(ボラ) 椎骨 アゴ骨 背びれの骨
エラ骨(ボラ) 椎骨(魚類) アゴ骨(クロダイ) 背びれの骨(タイ科)

表3では真福寺貝塚出土の陸産動物をまとめています。シカ、イノシシなどの大型動物が主体で、タヌキなどの小型動物も出土しています。出土する獣骨のほとんどは打ち割られており、内部にある骨髄などを食料としていたと考えられます。

表3 真福寺貝塚出土の陸産動物(◎は非常に多い)
哺乳類 ◎シカ・◎イノシシ・タヌキ・ノウサギ・アナグマ・テン
鳥類 ガン・キジ・コウノトリ・ワシ
脛骨(シカ) 中足骨(シカ) 大腿骨(シカ) 椎骨(シカ)
脛骨(シカ) 中足骨(シカ) 大腿骨(シカ) 椎骨(シカ)
シカ角 顎骨(シカ) 顎骨(イヌ) 顎骨(イノシシ)
シカ角 顎骨(シカ) 顎骨(イヌ) 顎骨(イノシシ)

台地上の遺跡を発掘すると、土器や石器は出土しますが、木製品や動植物は土の中で分解され、出土することはほとんどありません。では、真福寺貝塚ではなぜこうした遺物が見つかるのでしょうか。

台地上の遺跡でも、貝塚では大量の貝殻が酸性土壌を中和させることで、土の中では酸によって分解されてしまう、色々な動物の骨や、骨を加工して作った骨角器などが、分解されずに保存されます。また、真福寺貝塚の西側の谷部分の調査では、クルミやトチの実など、食用としていた植物の遺体も見つかっています。谷部分に見られる、一般的に泥炭層遺跡、近年は低湿地遺跡と呼ばれる層は大量の地下水を含み、酸素が少ないため微生物の活動(分解)が抑えられます。その結果、植物遺体を含む粘土や砂の層の中では、自然木、種子、加工木、木製品などが保存されます。市内では寿能泥炭層遺跡(大宮区)や南鴻沼遺跡(中央区)も低湿地遺跡として知られています。

耳飾

耳飾は縄文時代を通じて多くの遺跡から出土する装身具です。みみずく土偶の耳たぶにある丸い表現も耳飾を表しています。特に透かし彫りの耳飾は精巧な彫刻が施され、朱や丹で赤彩されているものもあります。縄文時代の精神文化を知ることができる貴重な資料です。真福寺貝塚からも多くの耳飾が出土しています。
耳飾1 耳飾2 耳飾3 耳飾4
耳飾(J地点) 耳飾破片(J地点) 耳飾(L地点) 耳飾(L地点)
貝輪の一部 砥石
貝輪の一部(L地点) 砥石(L地点)

真福寺貝塚とみみずく土偶

真福寺貝塚といえばみみずく土偶を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。現在、東京国立博物館が所蔵している真福寺貝塚出土のみみずく土偶は発掘調査によって見つかったものではなく、近くに住んでいた人に拾われたとされるものです。当初、土偶の右脚はありませんでしたが、大正15年(1926年)の発掘調査の出土品の中に接合するものがあり、現在の形になりました。その後、昭和32年(1957年)に国の重要文化財に指定されました。
みみずく土偶(複製)
みみずく土偶(複製)
原資料:東京国立博物館蔵

本来、土偶は完全な形で発見されることはほぼないため、全身が揃っているという点においても非常に価値のあるものと言えます。近年の調査でも破片ではありますが、みみずく土偶が出土しています。
みみずく土偶1 みみずく土偶1裏 みみずく土偶2 みみずく土偶2裏

正中線が省略され、目や口にキザミの装飾があります。
頭部にはH字状の装飾が剥離した痕が見られ、全体的に赤色顔料が塗布されています。

目や口の縁にキザミの装飾がありますが、内側に沈線の縁取りはありません。
左のみみずく土偶より古い様相を示しています。

真福寺貝塚L地点

みみずく土偶3 みみずく土偶3裏 みみずく土偶4 みみずく土偶4裏
目や後頭部は欠損していますが、赤彩痕があります。 顔を囲む隆帯上には眉付近にキザミ、眉より下は縄文が施されています。
後頭部には装飾があったような痕はありますが、接合部から剥落しています。
真福寺貝塚C地点 真福寺貝塚L地点


はじめに 真福寺貝塚のすがた


第2章 土器の編年研究への貢献

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