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更新日付:2026年6月13日 / ページ番号:C121961
浦和博物館の庭に屋外展示されている石造物のうちの二つを紹介します。
博物館の庭の、道路に面している側に並んで立っているのが、今回取り上げる「足立百不動第一番標石(あだちひゃくふどうだいいちばんひょうせき) 」と「長日護摩供五千座供養塔(ちょうじつごまくごせんざくようとう) 」です。
元は現在の緑区中尾にあった玉林院という修験寺院にあり、木造の小堂の中に並んで建てられていました。
玉林院は明治4年(1871)に廃寺となっていますが、当館に寄託されている寛政12年(1801)の絵図に当時の様子が残されています。
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| 足立百不動第一番標石(右) 長日護摩供五千座供養塔(左) |
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写真右の足立百不動第一番標石の正面には「足立第一番大聖不動尊」と刻まれており、玉林院が足立百不動の第一番であったことが記されています。
「足立百不動」とは武州(武蔵国)足立郡内に設けられた100か所の不動明王の霊場を巡拝するものです。
その範囲は、現在のさいたま市から東京都北区まで広がっていました。
霊場巡りは近世に流行した民間信仰の一種であり、巡礼のときに寺社に祈願の札を収めることから「札所巡り」とも呼ばれています。
観音菩薩や薬師如来、不動明王など、札所巡りの信仰の対象はさまざまです。
足立郡でも観音菩薩の霊場を巡る「観音巡り」や薬師如来の霊場を巡る「薬師巡り」 が昔から盛んに行われてきています。
丑年と午年に観音巡り、寅年に薬師巡り、酉年に不動巡りを行っていました。
今回ご紹介している足立百不動の成立時期はわかっていませんが、第百番の行弘寺(南区太田窪)の石碑が安政6年(1860)に再興されたものとされていますので、それ以前からあったことは間違いないでしょう。
不動巡りの信仰対象である不動明王は、弘法大師によって日本に伝えられ、庶民の信仰を得てきました。
大日如来(だいにちにょらい)の化身とも言われており、憤怒の形相が庶民の悪心の芽生えを妨げ、悪を懲らしめる仏様として崇められています。
また、写真左の長日護摩供五千座供養塔は、安永8年(1779)に、ある人物が息子の延命祈願のため、長期間にわたって護摩を焚いて供養したときに建立したものと考えられています。
「長日護摩供」とは長きにわたって御本尊の前に設けた壇に火を焚いて祈りを捧げることです。
言葉の意味をそのまま受け取れば5000回祈りを捧げたことになりますが、それだけ一心に願いを捧げたことになるのでしょう。
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